KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

オランダに流れついたなぞの仏像

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オランダのドレンテ博物館に所蔵されている仏像を、CTスキャンにかけたところ、中に1100年前に死亡したと推定される人骨が入っていたそうです。
おそらく僧侶、しかも高僧のものではないでしょうか。
CTスキャンという文明の利器がなければ、おそらくわからなかったであろうこの事実に、小生はなにか考えさせられるのです。

 
この仏像はどのようにしてつくられたのでしょうか。
即身仏銅像に入れたのでしょうか。
即身仏とは、未曾有の飢饉、天災、疫病などにより、餓え苦しみ、恐れおののく人々を救うために、厳しい修行をし、己の身を犠牲にして、救済を祈りながら、土の中で念仏を唱え往生した僧のことをいうそうです。

とにもかくにも、”面白ニュース”ではありません。
「w」が8個とか失礼です。
引用させてもらっていうのもなんですが。
とてもありがたい仏像にはまちがいありません。

またちがう説に、この仏像は「加漆肉身像」であるともいわれています。
加漆肉身像は、中国,唐代の高僧のミイラ像のことで、唐代には僧侶の死後,その肖像を造って供養することが行われていたそうです。
高僧は死後ミイラになると信じられていて、高僧であることを立証するために、特殊な手法によるミイラが生れたといわれています。

なのですが、やはり小生は、前者を支持したいのです。
これはあくまで、作られた手法うんぬんではなく、心情的なものですけれども。
ちなみに仏教には、大乗仏教上座部仏教というのがあります。
上座部仏教というよび名は、小生が中高生のころは小乗仏教といわれていましたが、それが大乗仏教側からつけられた差別語なので、改められたそうです。

上座部仏教というのは、修行したものしか救われないという教えです。
大乗仏教は、すべてのひとを救うことを目的としています。
とかんたんに色分けしていますが。
即身仏にしろ、加漆肉身像にしろ、大乗仏教らしい手法です。

さて、この仏像はどういった経緯で、オランダにまで流れついたのでしょう。
調べてみましたが、わかりませんでした。
かんたんには調べられないほど、数奇な運命を辿ってきたのかもしれません。