KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

いのちの代償は金しかない

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本当に少年犯罪って増えているのでしょうか。
小生は「錯覚」だと思っているのであります。
だいたい少年法をかえたら、少年犯罪が減るのでしょうか。
それも疑問です。

それとよく被害者の人権と加害者の人権をいっしょくたにして論じる人がいます。
でもこれってあくまで別の議論だと小生は考えているのであります。
あっちがああだからこうするべきという話ではないと思うのです。
そうじゃないと、かえって被害者の人権がおろそかになってしまう気がするのであります。

そもそも報道するがわが、面白半分にショッキングに報じすぎなのです。
だから少年犯罪そのものが目立ってしまい、増えているようにみえてしまうのです。
そしてそれを観るほうも、感情的になってしまうのであります。 
だいたい被害者の未成年の顔写真までみせる必要はあるのでしょうか。

小生は、少年法をどうこうする必要はないと考えています。
死刑にすれば罪が償えるのかといえば、そうではないというのが、小生の考えです。
その代わり、未成年の分際で殺人するようなにんげんは、徹底的にそのシャバでの人生を管理すべきです。被害者の家族が、そこまでしなくてもというぐらい、管理すべきであります。

地の底まで追いかけて、働かせて、被害者家族の保障と、手間賃としての税金を搾り取る。
結婚など、ふつうの幸せを追い求めることも許さないけど、就職に支障が出ないよう実名を報道するのは禁止する。とにかく被害者に償うためだけに生きさせるのです。
こうでもしないと、反省の人生なんて送れないと思います。

どうせこの先、長く生きる可能性があるのならば、殺すよりも生かして搾取した方がいいのです。
死んだひとを生きかえらせるのは無理なのですから、その代償は金しかありません。
これで加害者の人権を考えろなどというにんげんは、もはや被害者を”無”としかみていない冷血漢なのですから、無視すればいいのです。人権について語る資格のないにんげんなのですから。