前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

サバイバルはシンプルに原始的に(その1)







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早いもので、東日本大震災から、もうすぐ4年のときが経とうとしております。
「早いもので」などと言ってしまうと、いまでも震災の爪あとに苦しんでいる方には申し訳ないのですが。
それだけ日々の生活に忙殺されていて、時の経つのを意識もせず惰性で生きている証なのかもしれません。反省すべきところであります。 

2011年3月11日
小生は当時、横浜のとある特別養護老人ホームで働いていました。
地震発生時は、入居者さんのトイレ介助をしていました。
職員として、落ち着いて行動しなければならないのですが、職員の小生よりもよっぽどお年寄りのほうが落ち着いていたのが、印象に残っています。

戦争など修羅場をくぐってきたひとばかりだったからかもしれません。 
当時職場から遠くないところに住んでおり、バス通勤だったのが幸いし、その日は無事に帰ることができました。鉄道の駅は入り口でシャットアウトされており、当時電車通勤だったひとはたいへんであったと思います。
都市のもろさというのを痛感したものであります。

しかし家に着くと、なにごともなかったかのように電気はつき、物が倒れたり落ちたりということはありませんでした。そういう意味では、意外と頑丈だったなあとも思います。
もちろんテレビもスイッチを入れればつきました。
しかし、テレビに映った映像はまさに地獄絵図でした。

そのとき映った映像というのが、火に包まれた、宮城県気仙沼市の映像だったのです。
まさか同じ国のなかで、このような大惨事になっているとは。
想像を絶するとはまさにこのことでした。
すぐさま、無線機のスイッチも入れました。

小生はアマチュア無線の資格を持っていて、たまに気心知れたひとと交信するのを趣味としています。
スピーカーから流れてきたのは、さまざまな安否確認の連絡でありました。
無線機というのは、携帯電話と違って、中継アンテナがなくても、電波が相手の無線機に直接届くのです。
それだけシンプルな構造になっているということでもあります。
(続く)