KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

三笑亭夢丸師匠を偲んで

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三笑亭夢丸 えんぜる~夢丸新江戸噺
三笑亭夢丸
インディーズ・メーカー


小生にとって夢丸師匠は、芸能人として思い出深いひとです。
よく考えると、なんでなのでしょうか。
うちの母がよくルックルックこんにちはという日本テレビの番組を観ていたので、もの心ついたころには知っていたというのが、まず第一にあります。
落語家、三笑亭夢丸(本名・坂田宏=さかた・ひろし)さんが7日午前5時40分、中いん頭がんのため東京都内の病院で死去したことが分かった。69歳だった。落語芸術協会がファクスで発表した。

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6152159 

おもえば長い間、レポーターとして活躍していました。
本職とはいっけん関係なさそうですが、メディアに露出することで、落語の認知度が広められることもあるわけで、そういう意味では多大なる貢献をされた方です。
若いころは、やじうま芸能リポーターという風で、ニヤニヤしたちょっと軽薄なかんじでした。

しかし後年では、社会的事件のリポートもされていて、伝えるすがたに重厚さがありました。 
メガネが初期と後期でまったく違っていたのも印象的でした。
前期はスポーティーな黒ぶちメガネで、後期はリムレスのメガネでした。
年を重ねたのもありますが、ひとはメガネだけでこれだけ印象が変わるのかと考えさせられました。

何回か寄席で落語を拝見したこともあります。
もの心ついたときの記憶と、大人になって生のすがたを拝見した記憶が合わさると強烈な印象が残るのです。寄席のときは師匠はメガネをかけません。
古典落語のばあいはさすがにメガネをかけているのはリアリティに欠けますから。 

死神という落語をされていたときの師匠は、生き生きとしていた印象があります。
死神なのに生き生きとはこれいかにですが。
落語ができることの喜びが伝わってくるのです。
そして物語に命が宿るのです。

いまでもたまに寄席は行くのですが、せめてもう一度だけでも、生の夢丸師匠の落語が観たかった。
物語に命が宿る瞬間、それがみられるのは、寄席だけなのです。
テレビの画面では息吹が伝わらないのです。
大きな喪失感でいっぱいです。