タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

在宅ワークはスタンダードになりません



ちかごろ盛んに、新しい働き方というはなしを聞きます。小生が尊敬してやまないイケダハヤトさんも、まだ満員電車で消耗してるの?昭和なの?「新しい働き方」ができる企業は続々増えてるよ と題名で煽っています。ですが小生はどうなのだろうと考えてしまうのです。

はたらくひとには大きくわけて2つあると思うのです。前にも書いたと思いますが、仕組みをつくるひとと、仕組みどおりにうごくひとの2つです。結論からいってしまえば、仕組みどおりにうごく側のひとのための在宅ワークなんて、ごく限られた数しかないと小生は考えます。古いやつだと思われるかもしれませんが。

お小遣い程度になる仕事なら、おそらくあるでしょう。ただ、生計をたてられるような仕事はないでしょう。在宅でできるのは、パソコンで仕組みどおりにうごくひとをコントロールする仕事か、知識をもっているひとがやるクリエイティブな仕事が大半ではないかなと考えるのです。

みんながみんなそういう仕事で社会がまわるかというと、そうではないと思うのです。そういう考えのやつは、満員電車乗ってろよって若いひとには言われそうですが。でも言わせてもらえば、そういう他のひとを見下したり、踏み台にしようという考えでしごとを選ぶひとに、社会貢献度の高いしごとなんてできやしないと考えるのですぶっちゃけ。

だからあまり、在宅ワークというものに、期待しないほうがいいし、それを過度に期待させるのは、罪だなあと考えてしまうのです。残酷に感じられるかもしれませんが。でも、新しい生き方としての可能性は、在宅ワークにはあるかもしれません。もらう金は少ないとしても、たとえば畑を耕して自給自足生活する人の、貴重な現金収入になったりとか。

これなら満員電車に乗らなくてもいいですから。それに主婦または主夫の方が家計の足しにするためにやるとか。それなりのやりかたはあるでしょう。ただやはり仕事の基本は、ものづくりとそういう仕事に就く人たちの手助けになるようなサービス業かなと考えます。

しかし情報産業というのは、これからも進化していくだろうし、まだこれからの新しい働き方の未来は予測がつかないというのが、正直なところです。ただ、いまのひとびとの生活を豊かにする生産的な仕事を差し置いてまで、在宅ワークが幅をきかせるかというと疑問ではあります。