前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

ああデヴィ夫人の見当ちがい







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小生はデヴィ夫人の無料メルマガに入っています。昨日も届きました。今回は『<週刊新潮>の英断に 拍手!!!』というテーマです。3月12日号の「週刊新潮」(5日発売)に<川崎中一少年凶悪殺人事件>の 主犯格とみられる18歳の少年の実名と顔写真が掲載されたということで、デヴィ夫人がそれを称賛しています。

そして最後には、極刑にすべし!と息巻いております。 まず整理しておきますが、18歳少年の実名と顔写真の掲載の賛否と、極刑にするかうんぬんはあくまで別の議論です。これをいっしょくたにしている時点で、たんなる感情論にすぎないのです。

じぶんの家族が殺されたのなら話はわかりますが、デヴィ夫人は無関係であります。彼女ほどの影響力のある人が少年法を逸脱し、犯人に対してなにをやってもかまわないとメルマガでふれまわるのは、私刑をみんなでしようじゃないかとあおっているのといっしょです。

いぜんにも書きましたが、日本は法治国家です。犯罪を犯したものは、法によって裁かれるのが前提となっています。法がおかしいと思うのなら、法そのものについて論じればいいのであって、法がおかしいからじゃあ実名報道や顔写真の公開はしようというのは、ちゃんちゃらおかしい話なのです。

こういうひとが陥りやすいのは、自分が正義であるということについて押しつけがましくなることで、犯罪者どころか、ちょっと道を踏み外しそうになっている人まで”正義の”集団を作って排除しようとするのです。そして排除したところで満足してしまい、思考停止してしまいます。

問題はそのあとにあるはずにもかかわらずです。本当なら事件を総括し、わたしたちが生きるこの社会はどうあるべきなのかを考えるのが大事なのです。しかし立ち止まって考えるひまもなく、また情報は怒涛のごとくあらたにおしよせてきます。おそらく1年後には、デヴィ夫人もこの事件を忘れていると思います。

なんどでもいいますが、少年法を変えて、極刑に処すことができたとしても、なんの犯罪抑止力にもならないと小生は考えます。宅間守みたいなやつには意味ないです。死刑になるのをのぞんでいるのだから。そりゃ死刑直前には死ぬのは怖いと思うかもしれませんが。それでも殺されたひとの恐怖にはとうていおよびません。

あと最後にいっておきますが、週刊新潮はみんなでこのテーマについて考えようとか、そういう考えで記事は書いていません。たんに話題を作って売り上げを増やしたいだけです。英断でもなんでもありません。だから実名報道や顔写真を公開をデヴィ夫人が称賛するのは、見当ちがいにすぎません。

そんなことより、わざわざ殺された少年の顔写真を載せて、ひとびとの関心をひこうとするような、そういった行為を止めさせることのほうが大事です。