KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

2015.3.11 テレビ東京にたいする複雑なおもい

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今年もやってきた3月11日。あれから4年も経ったのかと、朝にTOKYO MXでやっている堀潤さんのニュースを観てあらためて思わされました。年月は経てど、本質的な問題解決はまだまだ進んでいない、そんなおもいでいっぱいであります。

震災当時もそうでしたが、ことしも小生は、午後2時46分に4年前とおなじ介護の仕事をし、偶然にもあのときとおなじく、お年寄りのトイレ介助をしていました。だいぶ認知症がすすんだ方でしたので、おそらく4年前に震災があったことは意識もしなかったのでしょう。いつものとおり、「ありがとう、ありがとう」と感謝の言葉を小生にいいました。

結局、ことしも黙祷をささげることはできませんでした。お年寄りの車いすを押しながら施設のロビーにあるテレビに目をむけると、テレビ東京にチャンネルがあっていました。外国の映画をやっていました。他のチャンネルを回すと、どこも天皇陛下が追悼のおことばを述べられている姿が映っています。

テレビ東京はいつもそうなのはわかります。ネットではよく笑い話として、テレビ東京はブレないと言われているのですが、今回はさすがにそれってどうかなと感じました。天皇陛下が、国民みんなで寄り添っていこうと話されているさなかに、テレビ東京は外国の映画をやっているというのはいかがなものでしょうか。

せめて黙祷のときと、天皇陛下がお話をされているときぐらいは、映画を中断するべきではないのかと小生は提言したいのです。ブルーバックに「映画を中断して、黙祷と天皇陛下のおことばの映像を流します」と断りを入れて、しずかにその映像を流すだけでいいのです。終わったら、またもとの映画に戻ればいいのです。

それぐらいは、キー局である放送事業者として、やるべきではないかなと小生は考えます。