KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

アイドル誕生いまむかし

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マツコ・デラックスのアイドル論が論議をよんでいます。内容は、なにゆえトップクラスのソロアイドルが、うまれないのかについてであります。これに賛否両論の反応がありました。アイドルグループのファンにとっては、聞き捨てならない部分もあったようです。

今の芸能界はアイドルグループばかりが目立っているが、ソロで活躍するトップアイドルがなぜ見当たらないかについて、昔のアイドルは「日本一の歌手になる」などの目標の過程でアイドルとして扱われたが、今のアイドルはアイドルになることを目標にしている。

http://news.livedoor.com/article/detail/9885922/ 

小生もこのマツコの意見に思うところがあったので、書きだしてみます。ぶっちゃけて言ってしまうと、小生はマツコの意見に対して、「否」の立場です。それをいまのアイドルや、めざしているひとたちに言うのは酷でしょうというのが、小生の意見であります。

いまとむかしでは、アイドルがつくられるシステムが変わってきているのです。ギョーカイがそういう選択肢を作っていて、それにファンは流されているのであります。トップアイドルになるという野望をもったひとも、それに従わざるをえない状況なのです。

80年代トップアイドルの松田聖子中森明菜のデビューのきっかけを思い返してみると、むかしといまの違いがわかると思うのです。聖子はCBSソニー主催のミス・セブンティーンコンテスト出身、明菜は日本テレビのスター誕生出身です。

スター誕生は1983年、ミス・セブンティーンコンテストは1986年にそれぞれの役目を終えています。いまはこうしたソロアイドル歌手を生み出す、可能性を秘めた一発勝負の場って見かけません。オーデションは事務所単位でありますが、やはりアイドル歌手だけでなく、女優やタレントとしての素養も求められます。

ギョーカイが、スーパーアイドルを生みだす素地を作らないのが、そもそもの原因なのです。たしかにオーデションで1人選んだからといって、成功が約束されているわけではありませんから。やはり最初はグループとして、さまざまな可能性を秘めたたまごたちを集めたほうが得策というのがあるのでしょう。

「今の時代が求めていない」というより、「今の時代がリスクを負わない」というのが、正直なところではないでしょうか。いえるのは、いまとむかしで、アイドル志望者の質において、どっちかが劣っているということではないということです。