KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

えなりかずきの”みせかけの厳しさ”

ビートたけしのTVタックルえなりかずきが出演しました。そこでの彼の発言に正直、違和感をおぼえたのですが、ちなみに内容はこんなかんじであります。

えなりは今回の事件で主犯格の18歳の少年が実名で報道されたことに対し「大賛成」だといい、逮捕された3人のうち、実名報道をされていない主犯格以外の2人についても「実名報道されても良かった」と主張。
その理由について尋ねられると「大人と同じルールでいいと思う」とし、「報道機関が報道したくなるような凶悪事件があって、それを年齢で一律に分けるのはおかしいんじゃないか」とした。少年の更生の可能性については、「子供でも大人でも更生する人はするし、しない人はしない」と私見を述べた。
 また、えなりは少年法についても「成年未成年に関係なく、自分の行動には責任を持つべき」だとし、「そもそも少年法は必要ない」と主張。「大人でも情状酌量が考慮される」とし、「少年に対しても裁判所で同じルールでやればいい」といい、年齢で区別することに異議を唱えた。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1447964.html 
 最近すごく感じるのが、あとさきのこともロクに考えず、ただ厳しいことをいっておけば、みんなが拍手喝采してくれると思っているひとがおおいということであります。またそれにもろ手を挙げて、賛同するひとも実際に多いのです。

単刀直入に、なにに違和感を感じたのかというと、加害者の実名報道は賛成しているのにもかかわらず、被害者のもろもろのプライバシーを報道することには、なにも言及していないところです。結局、その厳しい態度というのは、被害者やその家族のために言っているわけではないのだなと感じるのです。

それに被害者の実名報道をすることによって、その先どうなるかというのも考えていないのです。名前をさらして、社会復帰をしにくくするかもしれないという想像力が働いていないのであります。すなわち実名報道をすることで、就職や社会生活を侵害するかもしれないということです。

それは加害者だけでなく、結局は被害者家族にたいしても、不利益をあたえる可能性があるのです。いぜんにも書きましたが、被害者への償いは金です。それにくわえて反省する気持ちも必要です。しかし実名報道することにより、無関係なひとから就職させないなどの私刑が入ることによって、償いを阻害するのです。

そしてやはり気に入らないのが、被害者の報道にはなにもいわないことです。あれこそまさに異常なのです。そんな被害者の家庭環境とか報道する必要があるのでしょうか。それにたいしてなにもいわないのは、けっきょくマスコミやメディアに媚びているだけではないかと小生は思うのであります。

えなりかずきよ、君は上っ面でそんなに厳しいことを言って、そんなに自分を強そうにみせたいのですか。
そう小生は言いたいのであります。