KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

新聞の縮刷版

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大きな図書館に行くと、新聞の縮刷版というものがあります。その名のとおり、従来の新聞のサイズを縮小させて、月ごとに一冊の本としてまとめたものです。朝日新聞を例にとりますと、創刊された1879年から現在にいたるまでの記録が全部残されています。

横浜の市民図書館に行くと、朝日新聞だけではなく、読売新聞や日本経済新聞日本工業新聞など、さまざまな一般紙や業界紙の縮刷版が置いてあります。ニュース記事だけでなく、社説や特集、読者投稿欄などを読むと、その当時の息吹みたいなものが伝わってくるような気がします。 

さて話は変わって。きょうはフジテレビで、「新発見!TV大事件50年史衝撃の瞬間」 という番組がやっていました。この50年で起きた事件を、映像で早送りにふり返る、そういった内容の番組です。そのなかであさま山荘事件も当然ですがとりあげられました。

じつは、あさま山荘事件の5人の犯人のなかには二人、未成年の兄弟がいました。今回の放送ではもちろん顔にモザイクがかかっています。いまのテレビにおいては、犯行当時に未成年だったばあいは、なまえも顔もふせられます。

しかし、事件当時の日本経済新聞には、未成年であるふたりの顔やなまえが掲載されているのです。そしてそれはそのまま縮刷版になり、いまでも読むことができます。 ちなみにふたりとも現在では、百姓と会社員とそれぞれごくふつうに社会人として働いています。

まあわざわざ大きな図書館に行って、当時の事件を縮刷版で読む物好きなんて、そんなにはいないとはおもいますが。犯した罪の大きさもあって、やはりそこからは逃げられない運命にあるのだなと、いまのモザイクをかけられた映像を観て、考えさせられたのでした。