KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

土曜夜8時のテレビは子どものものではなかったか

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<「めちゃイケ」は子供にウケる番組を作りたいのか?>

やっている方は楽しいのかもしれないが、テレビは視聴者を楽しませるもののはずである。数取団が華やかなりしころ巷間であふれていた言説、「アレやるとそんなに楽しくないんだよな。見てる分にはおもしろいけど」というのがめちゃイケの目指しているところだったはずである。

今は、(子供が)やるとおもしろいゲームが志向されるという逆転現象が生じている。 もちろん、小学生やそこらの子役にこのゲーム企画の機微を理解せよというのは難しい注文なので、子役の責任ではない。こんなものを導入した大人の責任である。 「めちゃイケ」は子供にウケる番組を作りたいのか? そうではないだろう。
この高橋維新という弁護士さんの洞察力とバラエティ愛はとてもすばらしいのであります。書いていることはわかるのです。だけどなぜか違和感があるのです。かんがえてみたら、夜8時のテレビは子どものみるものなのだから、そんなに目くじらをたてなくてもという結論に達しました。

そう。子どもが楽しく観られればそれでいいのではないかと思ったわけです。大人が笑えるかどうかの技術論はとりあえず置いといて、であります。そのむかし、しりとり侍での罰ゲームが問題になって、コーナーがなくなってしまった時にはえらい憤慨したことがありましたが。

土曜の夜8時といえば、8時だよ全員集合やオレたちひょうきん族というのが、小生の中のイメージとしてあります。全員集合のエンディングでカトちゃんの「宿題やったか?」「歯磨いたか?」の問いかけに触れながら、「子どもの寝る時間」を迎えたものであります。 

全員集合も子どもが観ていて面白くて、大人がくだらないと目くじらをたてた番組のひとつでありました。もしめちゃイケが子どもが観ていても楽しいのであれば、それでいいのではないかと考えます。小生もいまはめちゃイケを観ていないものですから。

もし子どもも観ていてつまらないのなら問題ですが。むかしとくらべて、子どもが観られる夜8時のテレビ番組って本当に減りました。お茶の間ということばが死語になり、家族囲んでテレビを観るなんてこともなくなりました。そして子どもは夜、携帯ゲームをひとりでピコピコやっているのです。

そういうなかで、おとなが観るテレビと子どもが観るテレビという問題提起があることじたい、健全でいいのかなと小生は考えています。