KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

のり弁への愛



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小生の職場では、会議をするときにお弁当がでます。なにがいいかと聞かれるとかならず頼むのが、のり弁なのです。のり弁ってつまるところなんでしょう。ふつうはお弁当というと、唐揚げ弁当とか、シャケ弁当とか、おかずのなかでも主役級が名乗りでてくるわけですが。


のり弁のばあいは、「のり」なのであります。のりが主役なのです。というのも、のり弁というのはおかずがいまいちパッとしないから、 のり弁と名乗るのであります。しかし小生は、このパッとしないおかずが大好きなのです。のり弁のおかずといったらなんでしょう。


小生のなかでは、コロッケ・白身魚のフライ・そしてちくわの磯辺揚げなのであります。が、なぜかこの戸塚の王様弁当という弁当屋は、なぜか鶏の唐揚げがあります。いちおうのりの立場を脅かすことのないように、こぶりな唐揚げなのですが。


なぜ小生は、のり弁が好きなのか。それは心のなかにちくわの磯辺揚げ愛があるからなのです。好きで好きでたまらないのです、ちくわの磯辺揚げが。しかし戸塚の王様弁当は、ちくわの磯辺揚げをつくるにあたって、あるひとつの罪を犯しているのです。 


なにかというと、ちくわの磯辺揚げにカレー粉をまぜているのです。 これは看過できません。磯辺揚げの青のりの風味が台無しではありませんかこれでは。いつか王様弁当に、ちくわの磯辺揚げとはなんぞやということを訴えに行きたい。そうかんがえております。