KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

西宮球場

21s07



あたらしくできるという国立競技場が、東京オリンピックまでに屋根をつけるのがまにあわないということで、なんなんだといきどおりを感じるきょうこのごろ。ほんとうに日本という国は、昭和の建物の様式美を平気でこわす美学のない国だ。


小生は小学校1年生のときに、当時かよっていた学童保育の先生に教えられて野球をおぼえた。プロ野球もテレビでよく観ていたのだが、どうも巨人が好きになれなかった。父は巨人ファンで、周りの友だちもやはり巨人ファンが多かったのだが、天性のあまのじゃくのせいか、アンチ巨人であった。


母方は出自が九州で、みなライオンズファンであったのだが、なんか帽子のレオマークと明るいブルーのユニフォームがオシャレっぽくて、やはりどうも好きになれない。ひねくれたガキであった。ということで、特定のチームのファンということはなく、小学校時代を過ごした。


ただある監督は応援していた。それが近鉄バファローズの西本幸雄監督であった。あこがれのかっこいい爺ちゃんだったのだ。野球をおぼえてからの最初の記憶が西本監督の胴上げシーンだ。なぜ西本監督の思い出はまた近いうちに書きたいとおもう。 


そうだ。あの胴上げシーンは西宮球場だったのだ。西宮球場って古いけど洗練されていてかっこよかったのだなあ。 阪神・淡路大震災も耐えぬいたというのに、その西宮球場もなくなってしまった。西宮球場だけではない。あのころあった大阪球場藤井寺球場川崎球場もなくなってしまったのだ。


思い出は消えないけど、はかない。 



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