前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

キムタクの夢








ヨルタモリ」では、タモリが「夢を持つ生き方」について言及し、その中で「夢があるようじゃ人間終わりだね」「夢の達成される前の期間は、まったく意味のないつまんない期間になる」などと主張していた。 同日ゲスト出演していた草なぎ剛タモリに同意し「夢に向かって頑張ろうぜみたいな。じゃ、叶っちゃったらどうすんのって話で」などとコメントしていた。

木村は、リスナーからのメールでこれを知ったそうだが「僕は(夢は)必要だと思う」と、ふたりの意見に真っ向から反対する立場を表明した。

木村拓哉がタモリの夢を持たない生き方を全否定「ないなあ…そういう考え方は」 


じつは小生も夢がない。夢というのは、かなわないから夢なんだと考えている。40過ぎると夢なんてみてはいられない。努力をすればかなうような夢なんていうのは、実は夢なのではなく、現実なのである。


 
ちなみに木村自身にはいくつもの夢があるそうだ。「こんなとこ行ってみたいな」「こんな人と一緒にお仕事してみたい」といった夢がひとつ叶うたびに、「本当にできた!」「思いっきり全力でやりたい」と感じるのだとか。


このキムタクの”夢”なんていうのも、じつは夢ではない。こんなのあんただったらかんたんにかなうことができるだろうってはなしなのだ。夢ではなくどちらかというと目標なのである。そう、目標というのは、誰しもがもっておくべきものだ。


夢と目標のちがいとはなんだろう。夢というのは、それこそ現実逃避なのである。かたや目標というのは、現実にそくしたものである。夢をかたることというのは、目標を持たない人間が、「本気出せばこんなものじゃない」と言っているようなものなのだ。


タモさんも剛くんも目標というのをきちんと持って、それをひとつひとつクリアしてきたひとだとおもう。もちろん木村拓哉だってそうだ。だからこそキムタクも、夢と目標というのは、はっきり区別して語る必要がある。メディアをとおして語るばあいは特に。