KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

観光地の望遠鏡

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観光地の見晴らしがいいところによくある双眼鏡。おもえばふしぎな存在である。よくあるのに、使っているひとをみたことがない。はたしてこの望遠鏡に必要性はあるのだろうか。ふつうはその存在意義をかんがえることもないわけだが。


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そもそも使用料金がたかい。なにが一分半で100円だ。映画が1800円で観られるというのに。この双眼鏡ときたら、27分みせただけで映画料金とおなじ金をせびろうというのだから、ずうずうしい話だ。


しかもシャッターがしまって2秒后に100円を入れましょうとはあれか。1秒后にいれたら有無をいわさずシャッターをあけずに100円没収しますということか。 なんたる悪行だ。硬貨いがいのものを入れられてもしかたがないぐらいの悪行である。


しかし2秒後ではなく2秒后というのが歴史をかんじさせる。長年この場所において、ときには雨風にさらされながら存在しつづけたことについては、敬意をはらおう。