タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

サムの息子法

1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」で、犯人の当時14歳だった男性が手記を書き、それが商業出版著書として刊行されるのだとか。表現の自由はどこまで許されるのか、ひじょうに難しいテーマである。

 


そう。興味本位で、買う人間はバカなのである。いくら法のもとでの刑罰を終えたからといって、それで許されるもんだいではない。にんげんには道義というものがある。だからにんげんのあさはかな興味本位につけこむような本を買うのはひじょうに馬鹿げている。


 

ここでひとつの法律用語がでてくる。サムの息子法である。


1976年にニューヨーク市で、主にダークヘアの女性をターゲットにされ、被害者が一人でいたり、車を停めて男性と一緒にいたりした時に銃撃される連続殺人事件が起こりました。死傷者6人、重軽傷者7人に上り、NY警察の大々的な捜査に対し、これを揶揄するような手紙が警察や「デイリー・ニュース」紙のジミー・ブレスリン記者に送りつけられるなど、かなりセンセーショナルな事件だったので、ネットでググれば呆れるほどたくさんの資料が出てくるかと。


犯人はデイビッド・バーコウィッツという男性で、タクシー運転手や郵便配達員をしていたそうですが、彼は逮捕されてから「サムという隣人が飼っている犬を通して自分を操る悪魔に命じられてやった」と自白したり、起訴され有罪判決が言い渡されている間も「ステイシー(逮捕直前の最後の被害者名)は売女だったんだ」とブツブツつぶやき続けるなどの奇行もあり、精神異常者として無罪判決になるのではないかという憶測もありましたが、終身刑となり、今も服役しています。
 

 
この時、ニューヨークに本社を置く大手出版社がこぞってバーコウィッツにメモワール(手記)を書かせようと大金をオファーしていたことが明るみに出てたことが「サムの息子」法の制定につながっていきました。この州法では、起訴された事件の犯人の犯罪に関するネタで本、映画、テレビ番組が作られた場合、法廷がその人が受け取る収益を差し押さえることができるというもので、多くの場合、犯罪の被害者や遺族の訴えがあれば賠償金として使われます。

ところが、1977年に制定された最初のNY州法ではその範囲が広すぎて、表現の自由を保障した憲法修正第1条に抵触し、最高裁判所違憲とされ、修正を求められました。


いろいろむずかしい問題もあるが、なんにしろ被害者の家族のかなしみをないがしろにした状態で、商業出版として手記が出されることになるのならば、それはおかしいというしかない。サムの息子法は、日本にはないけれども、その存在を知らしめることは、興味本位で買おうとするひとにたいして問題提起になるだろう。


犯人ははたして、被害者家族にどれだけ償いをしたのであろうか。それを知るよしはないが、もしなにもしていないのであるならば、まずは償い被害者家族の悲しみを背負い生きていかなければならない。 商業出版として手記を発表しているばあいではない。