KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

デヴィ夫人あなたはたんにリンチをしたいだけなのでは?

デヴィ夫人からのメルマガが届いた。「いつまで続く、少年犯罪」と題してある。この手の内容はいままで何度も送られてくる。そしてきまって「少年法を厳しくしろ。」「被害者だけが名前を公表されるのはおかしい。」ということが書かれている。


小生はこの文章を読んでいつもおもうのである。はたしてそれで、少年犯罪は減るのであろうかと。そもそも、少年犯罪は成年の犯罪とくらべて、それほど世代別で、犯罪率の割合が高いのであろうか。


デヴィ夫人はいつも、犯罪をおかした少年がいかに悪いことをしたかばかりをあげつらっているのだが、少年法を厳しくすること、また少年の名前を公表することで、どう少年犯罪が減るのかという説明がまったくされていない。
ましてや、犯罪を犯した少年をどう更正させるのかということにも、いっさいふれていない。 


被害者の人権を守ることは重要である。しかし被害者と加害者の人権については別に議論し不備なことがあるのならば、それぞれ改善されるべきものである。被害者の人権が守られていないから、加害者の人権も守らなくてもいいということにはならない。 


デヴィ夫人というひとは、加害少年の更正については、どうでもいいとおもっているのではないか。加害少年の名前を公表して、不特定多数のにんげんに攻撃させることになろうが、あとはどうなろうがしったこっちゃないという態度をとるつもりなのではなかろうか。


きょうびこのご時世である。インターネットを使っての情報の伝達は、おそろしいまでに早い。それが更正の妨害になる可能性がある。 就職が妨害されるなどがその1例だ。それ以外にも圧力は各方面からかかるであろう。


加害者は刑事的な処罰をうけてそれでおわりではない。贖罪の意識を死ぬまでもちつづけ、血みどろになって働いて、慎ましい生活を送りつつ、被害者の家族に送金するべきなのである。また被害者の家族が許すのなら、反省の気持ちを手紙にしたためて送りつづけるべきだ。それが被害者家族へできうる贖罪であると考えている。


それをもできなくするような、不特定多数の無関係な人間による私刑の執行は、おおいなる罪である。