KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ジェシー・ワシントン少年と私刑

先日の記事で、デヴィ夫人のメルマガにおける「被害者だけが名前を公表されるのはおかしい。」という発言について、小生はリンチ(私刑)をしたいだけではないのかということを書いた。デヴィ夫人のような発言力のあるひとが、無遠慮にそういう発言をするのは、看過できないことである。


なんどでも書くが、無秩序に加害者少年の名前を公表することは、このネット社会においては集団リンチを誘発する可能性がある。贖罪はなされるべきだが、それは法の秩序をもって行われるべきだ。集団による私刑によって、社会的に抹殺することは、決して許されるべきことではない。


集団による私刑のおそろしさを語るためにひとつの実例をあげよう。100年ほど前、テキサス州である殺人事件があった。被害者は農場主の妻53歳で、強姦されたうえに鈍器のようなもので撲殺された。どこからかタレコミがあり、ひとりの黒人少年が逮捕された。


少年は農場で働いていた、貧しい家庭に生まれ育ち、知的障害をもったジェシー・ワシントンという17歳の黒人少年。だがタレコミがあっただけで、証拠は無いに等しかった。唯一あったのは、ジェシーが署名した供述書のみ。それだって、ジェシー知的障害を持ち読み書きもできないわけだから、その信ぴょう性は怪しい。


逮捕されて一週間後、裁判は行われた。裁判といっても、たった1時間。白人の陪審員たちは4分の審議のみでジェシーに死刑判決をくだした。そしてすぐさま傍聴人の、

「あのクロンボを捕まえろ」

のかけ声につづいて、ジェシーは暴徒と化した傍聴人たちに広場へ連行された。


Washington_hanging_1916-cropped


笑顔の白人青年。これはある絵葉書の写真の一部分である。
この笑顔の青年の前には、火あぶりになって黒こげになったジェシー少年がいる。こんな写真は悪趣味であり、公開する気にもなれないのだが、やじ馬たちがあまりにも平気な顔をしているので、一部分だけを切りぬいた。


この公開処刑を、なんと1万5千人ものやじ馬が見ていたのだ。そしてこの写真を撮影したにんげんは、絵葉書にして大もうけしたという。警官も役人も黙認していたのだとか。なんともやるせない話である。たかだか100年前の事件なのだこれが。


わかってもらえるだろうか。私刑(リンチ)というのは、人数が多くなれば多くなるほど、罪悪感を麻痺させるものなのだ。ましてやインターネットというのは伝播力が強い。人数はものすごいスピードで多くなる。それほどの人数が一気に一人にたいして私刑をしようとしたら・・・想像するだけでそら恐ろしい。