KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

今井舞の半井小絵批判におもう批評精神の「情」というものについて

アシスタント役の内藤聡子アナの夏休みで、日替わりで女子アナ公開オーディションの場と化している『5時に夢中!』(TOKYO MX)。

 バラエティ慣れして違和感のない高橋真麻。何もかもが田中みな美超えの真正ブリッコ神田愛花。よくぞこのキャラを探して来た、と番組の目利きにあっぱれ天明麻衣子お嬢様。それぞれがキャラを炸裂させる中、半井小絵だけはダメだった。「原稿読み」という、最も基本のところが、シンプルに×。グダグダになった結果を、媚びた目で周りに放るという、アシスタントとして最もしてはならないNG行為も目に余った。

 原稿が書いてある紙を高く持ち上げて首っ引きで読んでいたり、読みながら一切カメラを見なかったり、ガヤが入ると原稿読みを一瞬中断してそれに応じてしまったり、読み終わった後、カメラではなく演者に視線を送ってたり。あ~、これラジオしか出てない人だわ、が丸わかり。もうテレビではあんまり声かからなそうな寂寥感がひしひしと。

サイゾーウーマンより 


よくもここまで。ある意味感心する。なにがって、このコト細かに相手の欠点を、これでもかとあげつらったこの文章にたいしてである。小生も観たが、そこまで気にならなかった。よくここまで難癖をつけられるものだ。


そもそも半井さんって、アナウンサー出身ではない、気象予報士なわけで、高橋真麻とおなじ土俵にあげてはいけない。真麻はアナウンサーとしてキワモノみたいにいわれるけど、じつはすごい実力のあるひとであるし。


暴言をはかせてもらえば、アシスタントというのは、アナウンサーとしての実力うんぬんより、ネタっぽさというか、ぶっちゃけみていておもしろければそれでいい。5時に夢中というカオスな場所で、半井さんという人選というだけでもうおもしろいのだから。


半井さんはすでにもう死に体であった。NHKのニュースで人気を博したが、それを降板してから露出が減り、話題にのぼることも少なくなっていった。もうみんな忘れているかもしれないが、元大リーグのレンジャースにいた建山義紀との不倫騒動なんていうのもあった。 


その半井さんをゾンビとして蘇生させた東京MXテレビに、喝采をおくりたいぐらいだ。いつものように幕が開いたら、ゾンビになった半井さんがいる。これだけでもう満足だ。ちょっと失敗したぐらいでなんだまったく。そう今井舞にはいいたいのである。


そうおもうと、このサイゾーウーマンの記事には”情”がない。情にも愛情とか情けとか、その種類はいろいろあるが、やはり批評するのにもヒトとしての情って大切なのだ。情のない嘲りは読んでいて愉快にならない。たとえば本文中に出てきたこういうの。 


あと、半井さん、笑うとちょっとロバっぽかった。


 はあ?

書いている本人は読者に、「言い得て妙でしょ?」なんていって、胸を張っているにちがいないのだが。