KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

歌丸師匠は笑点を降板するべき

嫌だけども。しかし現状をきくと、桂歌丸師匠に長生きしてもらうためにはいたしかたないとおもう。


落語芸術協会は19日、会長の桂歌丸(78)が体調不良のため、しばらく休養すると発表した。同協会によると、食事が取れず体力が低下したため、14日から神奈川県内の病院に入院して点滴治療と検査を進めている。歌丸は同協会を通じて「また、みなさまのもとにすぐ戻ってまいります」とコメントした。

 体重が36~37キロでもともと体力不足が指摘され、今回でここ3年では6度目の入院。最近では、今月1日に背部褥瘡(じょくそう=床ずれ)で背中にうみがたまってしまったため、入院し、手術を終えて、9日に一時退院していた。協会担当者は現状について「本人は病室に行ったスタッフと打ち合わせもしている」と説明し、大事には至らないことを強調した。

歌丸休養「すぐ戻ってまいります」も高齢、体重36キロに心配の声 
 
褥瘡ができてしまうというのは、ようするに寝返りが自分でできないということでもある。そこまで体力が衰えているというのに、そんなテレビの収録など無理なのだ。 だから、「すぐ戻ってまいります」なんて、われわれは期待してはいけない。


じっくり休養してもらって、栄養を摂ってもらうしかない。体力をつかうしごとにすぐ戻るなんてもってのほかである。もうあとは好きなだけ落語がやってもらえばいいじゃないか。歌丸師匠の落語をみたければ、われわれが横浜に出向いてくればいい。笑点に出つづけることで、犠牲にしてきたことは多々あるはずなのだから。


もうあとは、天国の三遊亭小円遊師匠におねがいするしかない。子どものころに笑点大喜利でみた罵り合いのような勢いで、歌丸師匠を叱咤しハゲましてほしい。本気でそうおもっている。英断をくだすのは、いましかない。