KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

そして広瀬すずのTwitterには調子にのったキチガイがさらに

女優の広瀬すず(16)が幼少期の写真を5枚ツイッターで公開した。いずれも笑顔で、きょうだいとの写真も含め、公開したところまたたくまに多数のRTと「お気に入り」を稼いだ。

(中略)

「職業差別」と叩かれた。  よって、今回の幼少時の写真公開についてもこの影響が引きずられ、「あなたみたいな甘やかされて育っただけの子供がこんなに周りから更にちやほやされてるなんて無知な子供の言動程周りの人間を不快にさせる存在はありませんよ どうせ音声さんの発言の一件もなんとも思ってないんでしょ?」といった意見が書かれる状態となっている。 

 広瀬すずが幼少期の写真公開 お気に入り45000超


元記事を掲載したアメーバニュースもアメーバニュースなら、それをそのまんま掲載してじぶんのところのニュースにしてしまうライブドアニュースライブドアニュースである。そもそもこれがニュースといえるのであろうか。






そしてそろいもそろって沸いてきたキチガイのみなさま。こういうヒト科の生物を、さも一般人の意見のように掲載するネットニュースに疑問をかんじざるをえない。こういうふうにとりあげるから、これはオイシイなどとかんちがいしてキチガイが湧いてくるのである。


前回、広瀬すずさんのTwitterに攻撃的なツイートをしたニンゲンに苦言を呈す記事を書いたら、相手は芸能人なのだから、なにを書いても自由だと、小生につっかかってくるのもいるし、もうなんだかなーと阿藤快になってしまうのであった。 


キチガイと書いたが、もちろんじっさいもんだい、こういう書きこみをするニンゲンというのは、ふだんはごくふつうに社会人だか学生だかしらんが、社会生活をおくっているのばかりなのであろう。おそらく目立たないように黙々と人畜無害なものとしてふるまっているのかもしれない。


だが、インターネットといえども公共の場である。公衆の面前でこういうことを書くじたいかんがえたほうがいいとおもうのだ。有名税だからなにを書かれてもいいという発言の自由はある。しかしそれにたいしておかしいものはおかしいと無名人の小生だっていいたくなるのである。それは無名人の権利でもあるのだよ。