KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

野菜の花とあじさい

梅雨が憂鬱できらいだ。だがそんなことは、小生のかってな言い分である。ここのところの雨は、植物にとっては恵みとなったようで、こころなしかイキイキとしているようにみえる。現在住んでいる藤沢市のアパート近辺は、東海道にめんしていながらも、緑が根強く残っている。


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おなじいろをしているので、わかりづらいとおもうが、ピーマンの子どもがいる。


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年をとったせいであろうか。このごろ花が愛おしくかんじる。とくに野菜の花は好きだ。野菜だけあって、収穫される実のほうが主役なわけだが、それを理解しているかのように慎ましいところが好きだ。


そして梅雨といえばこの花。梅雨はきらいだけれども、あじさいは好きだ。 

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人間関係で疲れた心をそっと花は癒してくれる。見ているといやなことをひとときのあいだ忘れさせてくれる。