KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

もはや守るものはなにもない

柏木由紀さんの謝罪うんぬんについて書いたことが、ヤフーのネタりかやmixiニュースに載ったものだから、ブログのアクセスは増えた。しかし弊害もそれなりにあるわけで、こちらのネタをみたというにんげんからも批判がきた。


しかも、「売れない五流芸人は黙ってろ」ときたもんだ。さらにはじぶんのほうがお笑いのセンスがあるとも言いはなった。こちとらお笑いは辞めたが、なんなら勝負してやってもいいとかんがえている。だがこういう輩は、ぜったいに勝負にはでてこない。


なぜならば、弱みをみせることから逃げ、”ふつうのひと”の仮面をかぶって一方的に攻撃をしたほうが自尊心を傷つける心配もないからだ。 けっきょくは、そういうぬるま湯の状態にいながら、アイドルや芸人を見下したいだけなのである。


いっておく。小生がお笑いを辞めたのは、べつにお笑いをやることに失望したからではない。こういう仮面をかぶって、じぶんは一般のファンなんだ、お客さまは神様なんだという鉄板を盾に、大声を出しているやつを、虱のようにつぶすために辞めたようなものだ。


もはやこちらも一般人である。もうなにも守るものはない。