KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

学校というのは勉強をおしえるところである

そして、多くの生徒をまっとうな進路におくる機関である。人格形成とかそういうものだって、それに沿っておこなわれるものである。いろいろとご意見はあるとおもうが、基本そういうところだとかんがえている。


岩手県の中学2年男生徒がいじめを苦に自殺したと見られる事件について、尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏が、学校側の対応を批判し、「これじゃ生徒殺人学校!こんな学校が存在するのでしょうか!?」と怒りをあらわに糾弾した。 

尾木ママ、岩手中学生いじめ自殺の学校に激怒 「これじゃ生徒殺人学校!」 


そしてもうひとこといわせてもらうならば、こういう尾木ママこと尾木直樹氏みたいな評論家がマスコミに登場して、教師の側にだけ厳しいことをいうから、かえって問題は解決しないのである。小生は、モンスターペアレントというのが出てくるのは、尾木ママの存在もおおきく影響していると断言する。


教師の側にも、もんだいはある。しかしそこだけを責めてもなんの問題解決にはならない。けっきょくは事件が起こったときに、 ことの本質にふれずに、責任転嫁の標的にするだけなのだ。尾木ママは、無難なことをいって、ギャラさえもらえればそれでいいのかもしれないが。


イジメの原因は、イジめるほう、イジメられるほう、どちらのほうのこどもにも親にも原因がある。ましてや中学2年生にもなれば、善悪の判断はそれなりにつくはずだし、なぜイジメられるのかそれなりに判断することだってできるはずだ。 それができないとするならば、親にも責任がある。


基本的に学校は勉強をおしえるところなのだ。イジメというのは、子どもたちのなかの生存本能がはたらくことによっておこる。イジメられっ子が集団行動をさまたげ、学校生活の邪魔になるのならば、イジメがおこるのは当然なのである。


だからこそ子どもたちやその親にも原因があるのだ。学校だけに責任を転嫁させたって、なんの問題解決にもなりゃしない。なのにテレビや新聞でいちばん無難な、「学校や先生を責める」ことばかり評論家はいうので、ほとほとあきれかえってしまうのであった。