KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

国立競技場についてそもそもの疑問

2020年の東京五輪パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設問題で、安倍政権は2520億円に膨らんだ総工費を2千億円未満に減額する方向で検討に入った。巨額工費に対する世論の強い批判を受け、計画の大幅な見直しを迫られた。

新国立、2千億円未満に減額検討 デザイン見直しも 


国立競技場に屋根は必要なのだろうか。

ここのところのオリンピックはたしかに、屋根付きの競技場になってはいるが。でも屋根がついていていいなあとはまったくかんじない。デザインとしていいとおもえる屋根つき競技場ってはたしてあっただろうか?かえって屋根の存在はオリンピックというものを野暮ったくさせている気がする。 


雨が降ったらどうする?っていわれるかもしれないが、暴論を書かせてもらえば、オリンピックは記録をつくる大会ではない。降ったら降ったで、そこでがんばる姿は記憶に残るとおもうのだ。世界中のひとの思い出にのこることこそがオリンピックの使命である。


屋根なんかやめて、壊された国立競技場のようなシンプルな造形美を誇る競技場にしたらいい。そうすればお金なんてそうかからないはずだ。 それだけじゃない。屋根がないことで、夜空の下でやる閉会式はきっと美しくなるとかんがえるのだ。


 


聖火は夜空の下でそのともしびを落とされるからこそ美しい。煌々とした過剰な電飾はいらない。このごろのオリンピックは、芸能人を出してどんちゃん騒ぎをするが、そんなのもいらない。お能のような伝統芸能のひとだけにしてほしい。


懐古趣味でいっているのではない。日本のこれが普遍の美だからだ。