KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

国立競技場とオリンピックエンブレムのデザインを考えた

じつはけっこう建築やデザインについては一家言持っている。自分で言うのもなんなのだけれども。なので昨今の国立競技場やオリンピックのエンブレムの騒動について、忸怩たる思いをもっているのであった。


しかし文句をいうばかりが能ではない。個人ブログといえども、発言に責任はもつべきである。そこまでいうならじゃあ対案をだしてみろといわれるであろう。当然である。なのでここで案を発表したい。まずは国立競技場のデザインから。


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屋根はない。そのほうがドラマティックであるからだ。にんげんのどんな演出よりも、空もように優るものはないとかんがえている。そしてその空の下で選手が走るほうが自然なのだ。そう君もおもわないか?そしてオリンピックのエンブレムはこちら。


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手違いだろうか。なぜか”1964”になってしまった。こういうエンブレムはシンプルなほうがいい。日本には日の丸というものがあるのだし、そこに三角やら四角やらよけいなかたちはつけないほうがいいのだ。シンプルなもののほうがみている者のこころを打つというものだ。


この案には最大の利点がある。ここまでシンプルにしてしまえば、だれからもパクったとはいわれない。