KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

24時間テレビをかんがえる

「正直に言えば『ご遠慮願いたい』のが本音です。また、2011年に徳光さんはマラソンランナーを務めましたが、実を言えば、そのときを最後に『24時間テレビ』から“ご勇退”いただくつもりでした。しかし、本人の中で『24時間テレビ』は特別な番組のようで辞めなかったんです」(番組関係者)

『24時間テレビ』で“徘徊老人化”していた徳光和夫!! 巻き起こる不要論「現場に立てるような状態ではない」 


徳さん散々ないわれようである。小生はいいたい。24時間テレビの”番組関係者”よ。それってもはや言葉による老人虐待ではないのかと。24時間テレビなのにそういうことをしていいのかと。もういちどいうけど”番組関係者”よ。


べつに徳光和夫本人にとって特別な番組でも、オファーしなけりゃ来ないのだから。ということで、さいきんのネットニュースにおける”番組関係者”の口の軽さに苦言を呈しがてら、ツッコミをいれてみた。


ところでみなさん今年の第38回の24時間テレビにおけるメインテーマは、「つなぐ ~時を超えて笑顔を~」だが、第1回はなんだったかご存知だろうか。 たぶん知ってるひとはいないであろう。いまとなっては意外な言葉がでてくる。





「寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!」
なんと直球勝負なテーマであろうか。そうだったそうだった。いつのまにか24時間テレビのメインテーマって「チャレンジ」とか「絆」みたいに抽象的なことばになっていたのだ。 


というのも実はそれにはわけがある。ときは1991年。それまでは毎年直球勝負なメインテーマでマジメにやっていたのだが、この年は平均視聴率6.6%という低視聴率をたたき出してしまったのだ。


それでつぎの1992年から、エンターテイメントな路線に変わってしまったのである。いまでは恒例になったマラソンもこの年からはじまっている。メインテーマは「愛の歌声は地球を救う」となっている。


前年の、
雲仙・普賢岳災害救援! 寝たきりのお年寄りにお風呂カーを! 障害者に社会参加を! アジア・アフリカに海外援助を! 」
とは180度といっていいほど、すごい変わりようである。


それから幾年をへて、いまにいたっている。チャリティーとうたっているのになんだとこのごろは毎年おいかりのひともいるのだが、 そういうわけなのである。視聴率なのである。それからはだいたい毎年平均視聴率は10%中盤から後半となっている。CMでなりたっている民放の宿命といえるのではないだろうか。


だから広告収入で制作費を捻出し、集まった募金は募金として役立てる。ということなのであろう。制作費は制作費なので、出演する芸能人がギャラをもらうのはOKなのである。それが民放というものなのだ。





それにしても徳さん、第1回からこうして出てるのな。もうすこし労ってあげろよ。しかしあたりまえだが、このころは徳さん若かった。欽ちゃんも若かった。いまもむかしも変わっていないのは、大竹しのぶのヌメッとしたあの独特なしゃべり方だけだ。