KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

世の中厳しいなんてこっちもそんなのわかってんだよ。

ある芸人仲間のTwitterの記述を引用してみる。













>疑いの目で見てしまった自分が嫌に…

こういう自己嫌悪に陥る人は大抵不器用な優しい人である。

今の世の中、こういうケースに遭遇すると、冷たく突き放したあげく、

「世の中の厳しさを教えてやった。」

と後で自慢気に語る人間って結構存在しないか?
確かに厳しいは厳しいよ。
それをわざわざ人にアピールする必要がどこにある?
”厳しい自分”を演出する事に陶酔してるんじゃないかと問い質したくなる。

マザー・テラサワ氏は2000円貸したという。
持ち合わせの無い中の2000円って大きい。
よく金を貸したらあげた物と思えって言うけど、2000円あげるって勇気がいる。
自分の人間の小ささとの戦いだ。
その点マザー・テラサワ氏は見事であった。
人を信用するのは難しい。
でも信用し失敗しても、反省はすれど自己嫌悪に陥ってはいけない。
そう私は考える。