今日、生まれて初めて道端で見知らぬ人に「金を貸して欲しい」と懇願された。岐阜から東京の大学病院に診察を受けるため定期的に来ているおじいさんで、財布を落とした挙げ句交番で\600しか借りれず、空腹で都内をさまよい続け途方に暮れていたらしい(続く)
— マザー・テラサワ (@Mother_Terasawa) September 29, 2013
(続き)最初私は詐欺師であることを疑ったが、その人が病院の診察券を持っていたこと、連絡先の記入に応じたこと、頼んでないのに借用書を書いてくれたり持参の眼鏡や靴を担保に入れようとしたことなどからリアルな話だと判断。生まれて初めて見知らぬ人に金を貸した(続く)
— マザー・テラサワ (@Mother_Terasawa) September 29, 2013
(続き)先ほどその人から私の携帯宛てに連絡があり、明日金を返還してくれるという。しかも飲みに連れて行きたいから時間を作って欲しいとも言われる。こんな人を最初疑いの目で見てしまった自分が嫌になった。同時に、人を信用する事の難しさも実感したのである(完)
— マザー・テラサワ (@Mother_Terasawa) September 29, 2013
@hanpeita_akechi 2000円です。「1000円だけ貸して下さい」と言われたのですが、先方の様子があまりに不憫で…さりとて貸しすぎると不安だし僕もそのとき持ち合わせがあまり無かったんで、こんな金額になりました。
— マザー・テラサワ (@Mother_Terasawa) September 29, 2013
>疑いの目で見てしまった自分が嫌に…
こういう自己嫌悪に陥る人は大抵不器用な優しい人である。
今の世の中、こういうケースに遭遇すると、冷たく突き放したあげく、
「世の中の厳しさを教えてやった。」
と後で自慢気に語る人間って結構存在しないか?
確かに厳しいは厳しいよ。
それをわざわざ人にアピールする必要がどこにある?
”厳しい自分”を演出する事に陶酔してるんじゃないかと問い質したくなる。
マザー・テラサワ氏は2000円貸したという。
持ち合わせの無い中の2000円って大きい。
よく金を貸したらあげた物と思えって言うけど、2000円あげるって勇気がいる。
自分の人間の小ささとの戦いだ。
その点マザー・テラサワ氏は見事であった。
人を信用するのは難しい。
でも信用し失敗しても、反省はすれど自己嫌悪に陥ってはいけない。
そう私は考える。