前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

優しくて不器用な人の悲しすぎる死に様。







この事故に関しては、あえて老若であったり男女であったりという事は抜きにして語る。
人を救おうとする勇気の代償に、尊い命が失われた。横浜市緑区の踏切で、一日午前に起きた事故。亡くなったのは緑区台村町、会社員村田奈津恵(なつえ)さん(40)と判明した。一緒に踏切待ちをしていた娘を、目の前で失った父恵弘(しげひろ)さん(67)は、沈痛な面持ちで娘の死を悔やんだ。 (小沢慧一)


 緑署などによると、事故が起きたのは一日午前十一時半ごろ、緑区中山町のJR横浜線鴨居(かもい)-中山駅間の川和(かわわ)踏切。うずくまっていた男性(74)を助けようとした村田さんが、東神奈川発橋本行きの普通電車(八両編成)にはねられ、死亡した。男性は鎖骨を折るなどの重傷を負った。


 現場は遮断機と警報機のある踏切。村田さんは、恵弘さんが運転する乗用車の助手席に乗り、車列の先頭で踏切が開くのを待っていた時に、踏切の中の男性を見つけた。村田さんは車を降りて遮断機をくぐって踏切の中に入り、男性を線路のわきに動かしたという。


 近くにいた別の男性が踏切に備え付けの電車の緊急停止ボタンを押し、踏切内に村田さんと男性がいるのを見つけた運転士が急ブレーキをかけたが、間に合わなかった。署は男性が踏切内にいた経緯と、村田さんがはねられた詳しい状況を調べている。


 現場はJR中山駅から約二百メートル南東で、商店街の近く。JR東日本によると、横浜線は上下十本が運休、十四本に最大約一時間十分の遅れが出て、約一万四千人に影響した。

◆父「おじいさん 無事が慰め」


 「助けた人が無事というのが、せめてもの救いだが、私より先に死んでほしくなかった。遮断機が下りる前に踏切を渡っていればよかった」


 村田さんの父恵弘さんは一日夕、自宅前で冷静な口調に悲しみをにじませた。


 奈津恵さんは恵弘さんの次女。恵弘さんが自宅で経営する不動産会社で約四年前から働いており、最近は宅建などの資格を取得していた。この日は、内装工事を終えた物件を見た後、恵弘さんと車で会社に戻る途中だった。


 車列の先頭で踏切待ちをしていた時、反対側の線路にうずくまる男性を見つけた奈津恵さんは「助けなきゃ」と言って助手席から降りた。


 運転席の恵弘さんは「やめろ」と大声で止めたが、奈津恵さんは遮断機をくぐって男性に駆け寄り、中腰になって男性を動かした時に、電車にはねられた。


 恵弘さんによると、奈津恵さんは普段から面倒見のよい性格で、以前には、自宅近くの路上で酔って寝ていた高齢の男性をほうっておけず、住所を聞いて家族に連絡したこともあったという。


 「今、奈津恵さんにかけてあげたい言葉は」と報道陣から尋ねられると、恵弘さんは、うつむきながら「助けたおじいちゃんは、生きているよ」と声を絞り出した。(東京新聞


この日のNHKの夜のニュースでもトップで取り上げられていた。
ニュースでも、あなたはこの状況で助けに行くかと街行く人に質問していた。
正直私だったら、その時になってみないとわからない。
胸を張って堂々と、助けに行くと言う人がいたが、本当だろうかと疑ってしまうのだった。
助けに行くのも、見て見ぬ振りをするのもどちらも人間の本能であり、本当にその時になってみないとどっちに転ぶかわからない。
助けに行って亡くなった方は、優しくて不器用な人だったんだろうなと想像する。
テレビの画面に映し出されたその方の顔を拝見してそう感じた。
助けるのに必死で、自分の安全など考える暇もなかったに違いない。
しかし何と残酷な状況だろう。
愛する我が子の惨劇を目の前にしたお父様はどんなに辛かった事か。
何が正解だったのか、一概には言えまい。

本当はインタビューにも答えていた緊急停止ボタンを押した人の行動が、一番無難な選択ではあったのだろうが。