KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

案外いじめってこういう普通の番組がきっかけになるんじゃ

あの長寿番組に半平太が切り込む。

河合郁人くんに
「よく芸人さんに無茶振りしますよねぇ」
と聞かれた(黒柳)徹子は
「私は普通にお話しているだけ。ただネタが面白くない時に笑うことは出来ないので、OH~(↓)と言うの」
と至極当たり前の返事をしておられました。
決して芸人潰しをしていたわけではないことがわかった重要な日でした。

(雑誌「テレビブロス」読者投稿欄から引用)



普通に話をするのなら、他の芸能人や文化人と同じようにトークすればいい。
芸人だけは生い立ちとか普段の生活の様子などのバックボーンは必要無いからギャグをやれというのは、芸人に対する侮辱ではないだろうか。
芸人の端くれの分際で言わせてもらえば、ギャグをやるのにも空気や間を読むのが大事だ。
そしてタイミングを計って芸人の勘で発しないとギャグは難しい。
それをいきなり、じゃあそこでやれと言うのは些か乱暴である。
無論周りのスタッフも黒柳さんに「無茶振り」を期待しているのであろう。
そしてスベって狼狽している芸人の姿がウケると本気で考えているに違いない。

何かこれって子供のいじめの様ではないか。
いじめっていじめっ子がいじめられっ子を自分達が面白いように「イジる」事からはじまる。
いじめられっ子のリアクションをみんなで笑い物にしたりするのって、子供のいじめでよくある話だ。
なんかやれよというのもいじめっ子の常套手段だし。
私はいじめを経験した人間なのでわかるのだ。
そういう時のいじめっ子の顔は笑っている目の奥に侮蔑が見え隠れしている。
悲しい顔していじめる子供なんて見た事がない。
そして大人はそれをいじめとは認識せずに、じゃれていると脳内で解決してしまっているのだ。

よくお笑い番組をいじめの温床とか言ってしまう外野の大人がいるが、こういう「良識的な人」が観る番組はきちんとチェックして問題提議しているのであろうか。
もうなんでもかんでも止めろというのは辟易するが、せっかくインターネットという便利なツールもあるのだから、ぜひとも顔と名前を見せて問題提議について議論して戴きたい。
他人が変えるんじゃない、自分が変えなきゃいけないんだ。