「男女平等」の理念だけが先行した時代にあって、「女も働いて自立すべし」「女なら結婚して当たり前」というダブルスタンダードに苛まれる女性
様々なものと向き合いながら結婚について日々思いをめぐらしている女性に対し、男は「あ~セックスしてえ」とかぼやきながら家でビール飲んでゲームしてるわけですよ!
そんなガラス細工のようなプライドを必死に守っている男など、甘やかす必要は一切ないと思う。
男は友達同士で互いを適切に批評し合うガールズトークのような文化を持たないゆえに、自分の矛盾や歪みを自省する機会が少ない。
まずこれを書いたのは男性であるということ
清田隆之(桃山商事)という人の文章である。
女性の苦悩について慮るのはいいことだが、男性の苦悩に対しての配慮がない。
働いて自立すべしとか結婚して当たり前なんていうのは男性にだって同じようにあるのだ。
むしろそれができなくて叩かれたり揶揄されるのはどちらかというと男性の方である。
違うだろうか。
もちろん女性にだってこの点について苛まれるところが多々あるのは認める。
こういう事について、男と女と二元論で語るのがナンセンスだと言っているのだ。
男性はビールを飲んでセックスの事ばっかり考えているか
中にはいるだろう。
だがそうじゃない人もいる。
要は男性に対するレッテル貼りが過ぎるという話だ。
こうして固定観念に凝り固まると、相互理解を阻害する。
じゃあなぜボーイズトークが成立しないのか
ぶっちゃけてしまえば、こういう”女性の寵愛を受けたいがために目の前で同性を叩きつぶしてアピールしようとする”男性がいるから成立しないというパターンもあるんじゃないだろうか。
もちろんボーイズトークする男性も、1人で自省する男性も中にはいるという前提だが。
またガールズトークをしない女性、1人で自省する女性だって当然いる。
結局プライドを必死に守っているのって
こういう文章を雑誌に書いて、男は女を守って当然という概念に縛られている清田さんご本人ではないだろうか?
そういうジェンダーに凝り固まるの止めにしないか?
目の前に困っている人がいたらただ単に励ますし、時には力になるでいいじゃない。
わざわざ対立の構図を作る必要はないでしょうに。
まあ先ほども書いたように”女性の寵愛を受けたいがために目の前で同性を叩きつぶしてアピールしたい”というのならあれだけどさ。
さいごに
ブルドッキングヘッドロックとは、相手の頭をヘッドロックしたままリングを走り、ジャンプして倒れこみ相手の顔面を地面に叩きつけるプロレス技である。
いや、いらないだろこの説明。
それじゃ失敬。