前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

幸せな死に方ってなんだろう









スポンサーリンク


ごちそうさん」を観ていて考えた

欠かさずに観続けて、もう三分の二までいった。
朝ドラをここまでちゃんと観たのも初めてだ。
ある日のこと、近藤正臣演じるヒロインの義父が亡くなった。
その死に方というのが、ニコニコして明日のごはんはなんだろうなんて事を言いながら、眠ってそのまま逝くというものだった。
知らないひとのために説明すると

この義父は2度発作で倒れてしまって、医者からいつ死んでもおかしくないと言われている。
そんな義父のためにヒロインは精がつくおいしいものを毎日作った。
だから最後の夜も、明日のごはんなんだろうなあって楽しみにしてたわけだ。
そのシーンを観て正直、うわあ理想的な死に方だなあって思ってしまった。
眠ったまんまだもの。


逆に不幸な死に方は?

やはり恐怖に怯えながら他人にじわじわと殺されることではないだろうか。
それと宗教の指導者から天国にいけると言われ、自爆テロをさせられるとか。
そもそも天国を観た人間なんて現世にいるわけないのに。
ともかく人間だからなるべく痛くなく、死を迎えたいものだ。


死んだら無になる前提で

死後の世界なんてない。
死後の世界があると考えると、人は死んだらどうなるのか不安になってしまう。
人は死んだら無になる。
無になるということは、苦しみや不安も無くなる。
残された者には死んだ者との思い出が残るが、死んだ当の本人は自分が生きた歴史すらも無になる。
そう考えるとなんとなく楽になれるような気がするのだ。

それじゃ失敬。


新装版 こんな僕でも社長になれた新装版 こんな僕でも社長になれた
(2012/08/31)
家入一真

商品詳細を見る