KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ものみの塔の人たち



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朝、戸塚駅を歩いていたら…

どこからか声が聞こえる。
確かにこんな事を言っていた。

「ひまつぶしに面白い雑誌がありまーす。」

声がする方を見るとお年寄りのご夫婦らしきお二人が。
挙げられた片手には一冊の小冊子が。
めざめよ!って書いてあった

たぶんもう一冊あるはずだ。
そう。

ものみの塔

という雑誌だ。
むかし、よく親子連れとかが戸別訪問して配っていたあれだ。
あの人たちが来ると、無下に追い返すのもかわいそうなので、ありがたく頂戴していたから読んだことがある。
内容はなんてことはない。

「神様を信じて清く正しく生きましょう」

的なことが書いてあるだけだ。
ましてや南アフリカマンデラ元大統領が亡くなって6時間後の霊言などというまちがったことは書いていない。
しかしいかんせん勤め先がカトリック教会なもので、そんなものは持って行けないので今回はあきらめる。


宗教連帯責任

みたところ道行く人は誰も貰わない。
まあ興味ないと持っていくのには勇気がいる。
しかし、別にこの人たちは寄付金など強制しない。
至極地味に活動しているのに、他の宗教と一緒くたにされてしまうのが不憫である。



それじゃ失敬。