KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

デブでハゲなオヤジだけどそれでも気ままに生きていく。



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人にはどうやっても抗えないものがある

それは寄る年波というやつである。
みなさんもご存じのとおり、私は41歳でハゲでデブである。
デブはなんとかなる可能性は残っているが、ハゲに関してはカツラとかそういう方向には行かずなるがままにまかせたいと考えている。
ただ、ハゲでデブでオヤジだが文句があるかと開き直らずに可愛げのあるハゲでデブなオヤジでありたい。
そう願ってはいる。
幸せってなに?

年をとるたびにお笑いをやっていても異質な存在になっていく。
周りが若い人ばかりになってきて、そういう人たちと同じライブに出て、チケットノルマを払って、お客さんの評価で勝敗を決められる。
スベれば容赦なく0点である。
結婚して家族を養っている同年代の人から見れば何をやっているんだと思われるかもしれない。
でもこうやって生きていくって決めたのでやるしかないのだ。
世間一般の男の幸せを私は放棄したのだ。
まあそういう生き方も今現在、周りの人に助けられているからできるのだけれども。


毎日生きるだけでああハゲデブオヤジなんだなあって感じる

コンビニに行く。
レジに若い女性の店員さんがいる。
こちらがお金を手渡ししようとすると、なるべく手をさわらないように受け取ろうとする。
ひどいのになると受け皿を差し出される。
これもひとつの現実である。
ありのままの現実を受け止めるしかない。
こう考えてみよう。
この女性は完璧主義者なのだ。
完璧でありたいがために、このデブハゲオヤジの穢れた手でさわられたくないのだと。
それはそれでありだろうけど、大変な生き方だなあと。
こういうことに対してキレるおっさんになってはいけない。
俺は客だぞと声を荒げてはいけない。
最近そういう人が増えている気がする。
悲しいことだ。
あるがままに老いを受け止め、自由気ままに精神を開放すれば楽なのに。

それじゃ失敬。