KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

嗚呼哀愁のテレビ東京

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王道のNHKと我が道を行くテレ東

前回の日記で、各局が東日本大震災関連の番組を放送し黙祷しているときに、テレ東は映画「エイリアン4」を放送していたと書いた。
でももう我々は慣れっこになっている。
テレ東はいつもそうだから。

湾岸戦争のときはムーミン
阪神・淡路大震災のときもムーミン
地下鉄サリン事件のときもムーミン
この様にNHKやその他民放各局が緊急特番を放送しているときもテレ東は揺るがない。

誰だ単に報道スタッフがいないだけと言ったの。

すまん私だ。
そもそも母体が日本経済新聞だからしかたない部分がある。
しかしNHKみたいにみなさんの受信料で成り立つ公共放送で、何かあったら素早く伝えるテレビ局も、テレ東みたいに気休めに違うものを観させるテレビ局もどっちも必要なんだよな。


地デジになってからの違和感

地デジに変わってから3年にもうすぐなろうとしている。
しかし私はいまだに違和感があるのだ。
やはりNHKが1チャンネルだったらテレ東は12チャンネルなんだよ。
対局にあるとすごい自分の中で収まりがいいのだ。

むかしのテレビはガチャガチャ回すチャンネルで1から12まで回して1にまたもどるようになっていた。
そういや昔のテレビのチャンネルって12から1になんで戻れたんだろう。
普通の理屈なら12までいったらそれ以上回らずに、12を観ていて今度1が観たかったら11・10・9・8…って逆に戻らないといけないはずなのに。
12から一つ動かすだけで1チャンネルが観られたのが子供心に不思議であった。
だがこんなこと親に聞いたら、この子はなにか変な子なんだろうかと思われそうだし、知ったどころで何か変わるかというとそうでもないだろうしということで。
若い人にはなんのこっちゃな話。
いや大部分の人にはなんのこっちゃか。

それじゃ失敬。


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(2008/11)
石光 勝

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