KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

親の責任と社会的責任 - ベビーシッターの問題によせて -



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イケダハヤトさんのブログ記事『鈴木宗男氏の意見は百害あって一利なし。「母親にも責任がある」…だから何?』
より引用。事の顛末が詳しく書かれている。

「事件に巻き込まれた母親は無責任である」という暴力的な批判

全面的に乙武さんの意見に同意します。その上で、もっとも違和感があるのは、鈴木宗男さんが今回の事件に巻き込まれた母親について、「親の愛、親としての基本が欠如している」と読める文章を書いている点。



はじめに言っておきたいのは、親の責任と社会的責任は切り離して考えるべきであり、どっちも考えなければならない問題ということだ。
どっちか片方を議論して片方は無視していいということはない。
それはイケダハヤトさんも鈴木宗男さんもわかっているはずだ。
大事なのは、我々多数の読む側の人間が、一部だけを切り取ってブログやSNSや掲示板などで一方的な極論を書くべきではないということだ。
それを踏まえて私の意見を記していきたい。
社会的責任については、子供の命を預かるサービスの提供は許認可制にすべきか否か?で書いた。
今回は親の責任について書きたい。
私は母親が止むに止まれずああいうベビーシッターに預けざるを得なかったと信じたい。
シングルマザーとして生活することは我々が想像する以上に大変なことだと考える。
ましてや20代前半でまだわからないことばかりであろう。
一方的に無責任と言ってしまうのは残酷だ。

私は常々思うのだが、父親であるはずの男はなにをしているのか。
亡くなったお子さんの名前を見る限り恐らくバカのヤンキーに違いない。
セックスしたもん勝ちとだけしか考えてない頭がDQNのバカ。
この父親であるはずのバカに問題がある。
あまりにも無責任すぎる。
シングルマザーにならざるをえなかった母親の、慰謝料も払っていないであろう相手のバカ全員が。
ぶっちゃけ言って、女性の妊娠の責任は相手の男性に全部ある。
そういう自覚さえあれば、生まれてくる子どもの不幸はかなり防げるはずだ。
これは極論じゃないと確信する。

それじゃ失敬。


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