KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

笑っていいともという名のカオスの殿堂



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私が働いている施設にある認知症のお年寄りがいるのだが、お風呂の介助をしているとよく新宿に住んでいた頃の話をしてくれる。
大体いつも同じ話なのだが、話している本人は本当に楽しそうだ。
新宿駅東口に二幸という食料品店があったんだと。
その二幸という食料品店は、今は新宿アルタという商業施設になっている。
その新宿アルタの7階にスタジオアルタという多目的スタジオがある。
そう、笑っていいともの舞台である。

私が9歳の時にはじまったフジテレビのお昼の番組「笑っていいとも」。
最初の頃、実に衝撃的であった。
笑っていいともは、タモリがいて、たまに一般の人も舞台にあがる。
レギュラー出演者もくせ者揃いというか異質な人が多くいた。
だいたい昼だというのに、タモリ大屋政子たこ八郎がテレビカメラの前に立っているのだ。
こんなすごいスリーショットを私は他に知らない。
それを普通にやってのけるのが笑っていいともだったのだ。

『私のメロディー』というコーナーでとびきりのブスがいた。
そこに立っているだけで異彩を放つ最高級のブスが。
そのブスの名はしのざき未知と言った。
彼女はその後ものまね番組で活躍するようになる。
ストッキングをかぶって小松方正の顔マネをしながら笠置シヅ子のモノマネをする彼女に私は衝撃を受ける。
私のお笑いに多大なる影響を与えてくれた1人である。
こういう人を発掘したのは笑っていいともの功績であると私は考えている。

いつしか私は大人になって、30代になり、そして40代になる。
笑っていいともは空気のようになっていた。
やっているのは知っているけど、あえて観るほどでも無くなっていた。
テレビに映る笑っていいともの客席は女性ばかりになって、中年男になった私の心の琴線に触れるものがなくなってしまったのだ。
最初の頃のように、ハプニング性のある人がいなくなって、洗練されすぎてしまった。
笑っていいともも終わってしまうが、もう今後もカオスな人は現れないだろう。


それじゃ失敬。


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