KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

出しゃばらないけど、与えられた場において才能を発揮する人



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先日放送された、笑っていいともフィナーレを観て、そういやそうだったのかと思ったことがある。
関根勤さんは、28年半も笑っていいともに出続けていたんだな。
この人は空気のような存在で、当たり前のように存在するのだけれども、無くなった時にその大事さがわかる。
いや空気の場合は本当は、無くなったらそんなこと考えている間に窒息してしまうけど、それは言葉の綾ということで。
でも笑っていいともはこの人の笑顔で成り立っていたと言っても過言ではない。
出しゃばらずに、他の出演者を立て、何かその人が面白いことを言ったら口を大きく開けて笑う。
こういう人がいてくれると、場が本当に和む。
いいともファイナルで、さんまさん、鶴瓶師匠、とんねるずダウンタウンウンナン、99、爆笑問題SMAPの中居くんが出ていても、やっぱり関根さんは客席で口を大きく開けて笑っていた。
年数と貢献度を考えれば、客席にいる人ではないのに。

関根さんは私が物心ついた時からテレビに出ていた。
はじめて観たのはカックラキン大放送に欽ちゃんのどこまでやるのだった。
当時はラビット関根と名乗っていた。
カックラキン大放送では、刑事ゴロンボという野口五郎が主役のコントに敵役で登場していた。

バカバカしいと思うなよ♪やってる本人大まじめ♪

なんて歌いながら変なかぶり物をして出てくる。
欽ちゃんのどこまでやるのでは小堺一機さんと一緒に「クロ子とグレ子」としてミニコントをやっていた。
この二つに言えることは、関根さんは自分の”場”があると、最大限にその場を使い自分なりの面白い表現をするということだ。
だけど、それ以外の”共同の場”になると、出しゃばらずに人を立ててバイプレイヤーとして場の空気を作る。
これも一つの”面白さ”の表現なのである。
知っている人は、コサキンラジオで関根さんの面白さを知っているので、それでいいのである。
そうだ。
いいとも無き今、ラジオでタモさんもさんまさんも鶴瓶師匠も関根さんもトークしてくれないだろうか。
どんな組み合わせでもいい、1人で他の人を呼んででもいいから自由奔放なトークを。
きっとこの人達は好きにやっていいと言ったらギャラは安くてもやってくれそうな気がするのだ。
切に願う。

それじゃ失敬。

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関根 勤

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