KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

中村彝(なかむら つね)とカレーライス



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(左)中村彝 (右)彝の作品の一つ「カルピスの包み紙のある静物」


私に美術の素養は無い。
だが好きな画家はいる。
それが中村彝だ。
なんで彼の絵が好きになったのかというと、それは中学生時代の私の事情にわけがある。
私は中学生時代いじめられっ子で、次第に学校もサボるようになっていった。
うちは両親が共働きだったので、学校に行くフリをして、家に舞い戻ってくるのは容易だった。
しかし中学生であるから、お金もないし、時間を潰すのに苦労する。
しょうがないから、家にある百科事典なんかを眺めたりするのであった。
百科事典の中に人名辞典があって流し読みをしていると、この記事の冒頭にもある独特な風貌の中村彝の写真があって、しかも名前が私と同じ「つね」が付くので目が止まった。

この人は親兄弟を早くに亡くし、20歳で天涯孤独の身となった。
また結核を患い死ぬまで病気と戦うことになる。
療養のために滞在するなど千葉とも縁が深い人である。
その後、身を寄せていた新宿中村屋の令嬢と恋に落ちやがて求婚する。
だが、周囲の反対で結婚することは叶わなかった。
失意の中、それでもひとりぼっちになりながら描き続けるのだけれども、37歳のときに吐血による窒息死で亡くなる。
もし中村屋の令嬢と結婚していたら、もしかしたらこんな死に方はしなかったのかもしれない。
そう考えると複雑であった。
ただ、彼の生涯を目の当たりにして、何か自分と重ねてしまう部分があったのも事実だ。

ちなみにその後、中村屋の令嬢は日本に亡命してきたインド人と結婚する。
そのインド人が、本物のインドカレーの作り方を持ち込み、それが今の中村屋の名物カレーライスの原型になる。
今の日本のカレーライスにも多大なる影響を与えている。
もし彝が中村屋の令嬢と結婚していたら、日本のカレーライスの歴史も変わっていたかもしれない。

「カルピスの包み紙のある静物」は私が一番好きな絵である。
亡くなる1年前の作品だ。
失恋と病気による失意の中で、彼はどんな気持ちでこの絵を描いたのであろうか。
言えるのは素朴で澄み切ったいい絵だということだ。
悟りのようなものを感じる。

今度、東京に行った際には、再現された彼のアトリエを観に行こうかなと考えている。

それじゃ失敬。
足跡帳に一言残す


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