KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

とっちゃん坊やが遊ぶ全能の神ごっこに付き合わされた私たち



スポンサーリンク

遠隔操作事件 片山被告「私が真犯人」と認める
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140520/k10014570351000.html

片山祐輔という男は、人の人生すらも自分がコントロールして、それを晒すことで力を見せつけようと試みた。
自分が全能の神だと思っている奴は人の人生を滅茶苦茶にしても反省なんかしない。
メディアに大きく扱われることで、自分はやはりすごいと勘違いしたのではないだろうか。
片山劇場はスパークさを増していく。
だが結局最後は、お粗末な結末を演出してしまった。
ずいぶんアナログなミスをしたものだ。
証拠を土に埋めようとして、尾行していた警察に見られるなんて。
自己弁護を劇的にしようとしてアイデアに溺れたな。

片山。
お前の凡ミスで母ちゃん6百万没収されたぞ。

あと逮捕された時に笑っていたけど、あれも自分が非凡に見えるように演出しただろ?
でも非凡な人間というのは、悪いことをやっても味方がいる。
ヒトラーなんかそこは非凡だった。
結局片山は平凡だったのだ。
パソコンが詳しいだけで。

一連の事件をニュースで観て自分ならうまく出来ると思った奴。
君もしょせん平凡だからね。
こういうことを考えるような人間は単にコンプレックスを抱えた凡人である。
本当にうまくやれる人間は片山以前からすでにうまくやるから。
そこを理解して、バカな考えを起こさないように。

それじゃ失敬。