KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ベビーカーのマナーについて私が期待するもの



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「ベビーカーマナーの悪い親は、電車内で優先したくない」という人に言いたい。あなたが社会を息苦しくし、子どもを減らす@イケハヤ書店

私は赤ちゃんが電車で泣くと内心びっくりはするが、しょうがないと思って気にしない。
赤ちゃんは泣くことによって肺を強くするわけだし。
それによって、親御さんのことをいちいち突っ込むこともしない。
でも中には様々なシチュエーションの中で優先したくないという人もいるだろうし、そういう人に無条件にガマンしろとも言わない。
ここは親御さんと優先したくないという人の間にあるワンクッションを置くべきかと。
それは社会というものだと思う。
それは公の機関でも、企業でもいい。
とにかく問題を少しでも解決していこうという試みが必要で、それによって互いの関係性も潤滑になっていく。

国土交通省は3月26日、交通機関などでベビーカーを利用しやすくするため、「ベビーカーマーク」のデザインを決定したと発表した。電車やバスの中でも、ベビーカーを折り畳まずに使うことができることを意味する。



このマークもそうなのだが、今のベビーカーってなんでこんな形になったのだろう。
いや昔からそんなに変わってないようにも思える。
というのも、赤ちゃんはこういうベビーカーで電車に乗っていたら親御さんの顔も見られないし不安になると考えるからだ。
しかも満員電車で知らない人がいっぱいいるわけで、赤ちゃんが泣いてしまうのは必然じゃないかと。
本当は抱っこ紐が一番いい気がするが、大変ならばベビーカーを変えるのも一つの手だ。
場所を取らずに赤ちゃんが親御さんがいるということを認識できるベビーカーがぜひ欲しい。
赤ちゃんの不安も少しは解消されるのではなかろうか。
こういう社会的で技術的な改善案がどんどん出てくれば、赤ちゃんの親御さんと他の乗客との摩擦も少なくなっていくのではないだろうか。

それじゃ失敬。

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