タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

「物」に「魂」は宿るか

私は監督時代、野球の道具はその場に置くか、手渡す以外に扱い方はないと徹底的に指導した。打った直後以外、バットをほうる場面はない。四球のあと、バットをほうり投げたり、ベンチに向けてヘルメットを投げる行為を見つけると、烈火のごとく怒った。
ヘルメットは自分の命を守っているし、バットは安打を打たせてくれる道具だからである。道具を磨かない選手は上達しないし、人間としての心も磨かれないと諭してきた。
それぞれの道具には制作者の職人としての「魂」がこもっている。その魂が立派なプレーを生み出してくれる。
だから君たちの道具はただの「物」ではなく「命」なんだと。
日本人は「物」にも「魂」を宿すことができる唯一無二の民族であると。
実際、錦織選手が思い通りにプレーできないからとラケットを折れば、日本人の大半はその瞬間からそっぽを向くことは間違いない。


これはあるスポーツコラムニストの、テニスプレイヤーのジョコビッチが試合中に怒りにまかせてラケットを折ることによって、悪い流れやをメンタルを立て直した、これは錦織圭にはできない芸当だという内容のコラムにたいする野々村直通さんの見解である。


野々村直通さんとは、高校野球が好きな人なら誰でも知っているであろう、島根・開星高校の元監督である。あの角刈りにサングラスをかけたあの監督さんだ。しかも美術教師という変わり種でもある。 現在は教育評論家で、著書には「やくざ監督とよばれて」などがある。


ごめん野々村さん。どっちともいえないなあ。いってることはものすごいよくわかる。すごく心を突き動かされたのも確かなのだが。たしかに日本人にはそういうところがある。でもこういう日本人の精神性って強みでもあり、弱点でもあったりする。だからスポーツの勝負という面ではどちらともいえないのだ。


でも作ったひとの想いを受け止めるというのは、ものすごい大事なことだなあと痛感する。お金を払って買ったのだから、あとはなにをしようが自由だというのは、あまりにも寂しすぎる。機械生産であったとしても、その機械を扱う人だって真剣なわけであるし。けっこう物に八つ当たりするひとなので余計にそうおもうのだ。


ただもし錦織選手がおもいどおりにいかなくてラケットを折ったとして、それでも大会で何回も優勝したとしたら、それでも日本人はそっぽを向くであろうか。 結果をだせば、だれもそっぽをむかないのではないか。そういう一抹の懸念はある。