KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”権力を持ったジジイ”青柳幸一教授の女びいきに殺意すらおぼえる

青柳幸一教授が教え子だった20代の女性に試験問題を漏洩(ろうえい)させたことが発覚した今年の司法試験は8日、東京・霞が関法務省前で合格発表が行われた。明大の合格率は14・6%(53人)だった。

 明大法科大学院で青柳教授から講義を受けていたという20代男性は「女性をひいきすることで有名だった。特定の女性だけを食事に連れて行くこともたびたびあった」と明かした。

「女性びいきで有名だった」 青柳教授のあだ名は「ブルー卿」 


このニュースが報じられてからというものの、なんとなく鬱屈とした気持ちになっていた。正直なはなし、こういう青柳幸一教授みたいなにんげんは大嫌いだし、もしじぶんがこの教授に習っていたら、面と向かってぶん殴っていたとおもう。殺意はいいすぎだけれども。


またテレビのニュースバラエティなんかで、コメンテーターがまあ男だったらしょうがないといったかんじで、笑い話にするというのも、神経をうたがってしまう。 あくまでこれは僕の特異な見解であり、普通じゃないのは承知している。だからいままで書かないでおいた。


今回は利益の享受をうけた女性が、「30点とれば御の字のところを100点とってしまった」ということで、白日の下にさらされてしまった。けれどももしこの女性がもっとずる賢かったら、きっとこの不正はバレなかったにちがいないのだ。 


フェミニズムというものに違和感を持つのは、こういうところにある。フェミニズムというのは、男と女で二分論でかたられることが多いが、 じっさいにはこういう青柳教授みたいな男の側と、そういう男に阻害される男の側というのがげんに存在するのである。


なのに男は男であり、みんな女より恵まれているとするから、違和感というのはうまれるのである。このニュースに象徴されるように、力のあるものによって、女より不遇な目に遭う男というのは多く存在するのである。