KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

みのもんたと非常によく似ているもの

僕はある病気のようなものを持っている。 それはみのもんたを観ると、胸やけのようなものを起こしてしまうというものである。彼のことがなにか理由があって嫌いとかそういうことはない。ただ生理的に拒否反応のようなものが出てきてしまうのであった。


きょう仕事から帰って、録画した「5時に夢中」をみていたら、みのもんたがゲストコメンテーターとして出演していた。さすがにきょうは観るのをやめたほうがいいかなとおもったのだが、こんかいは観ることができた。


というのも、むかしは毎日のようにテレビに出ていたが、不祥事やらなんやらあって、さまざまな番組を降板してしまった。そうなってくると前みたいには銀座で豪遊しなくなったのであろう。いつのまにやら毒気が薄まっていたのだ。 


とはいってもまだそのトークの技術はさほどおとろえてはいないので、おもしろくみられた。しかしみのは老けてしまった。毎日出ていたころのギラギラした脂がだいぶ抜けてしまったようだ。やはりあの不祥事はみのに大きなダメージを与えてしまったらしい。


もうアシスタントをおさわりすることもできない現在、当然といってしまえば当然なのかもしれない。ってそっちか。まあそういうわけで、こんな僕でも1時間、みのもんたを正視することができたのである。 


みのもんたと似ているもの。それはラーメン二郎ではないだろうか。あのこってりとした味濃い目の背脂たっぷりラーメンは、たまに食べることはできるけど、毎日はとてもじゃないが無理だ。まあそんなみのもんたを毎日観ていたおばさんというのはそうとうなパワーである。