KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

川島なお美さんにお墓の話を聞いたマスコミは謝れ

川島がクリニックで定期検診を終えて車に乗ろうとすると、女性誌の取材が待ち構えていた。

「プライベートで通う 病院にまで来るの?さすがにビックリ」

と、驚いたようす。 飲んでいるサプリのことや、お墓や遺書のことまであれこれと聞かれ、 「いろいろ誤解なさってるようなので 笑顔で丁寧に お答えしたつもりです」とのこと。

「でも 病院にまで突撃取材は ちょっと… 静かに健康維持させてほしいです」

と、デリカシーのなさに苛立ちを感じているようだ。

川島なお美 病院まで来る女性誌のデリカシーのなさに「笑うしかない」 


ご本人がお亡くなりになったこともあって、かすんでしまった話題であるが、なんとも非常識なはなしである。ご本人にとっては、こんなことを聞かれて、どれほど辛く悲しかったか、想像するにあまりある。


女性誌とはそういう下世話なものだというはなしで済むもんだいではない。 テレビでこんなことをやったら、クレームが殺到するであろう。女性誌だったらじゃあ許されるのか。勘違いもはなはだしい。


べつに名乗り出ろとはいわないが、この女性誌の出版社の社長と、取材した記者は彼女の墓前で謝れ。

本当にそうおもうわ。ひとの不幸でメシ食いやがって。


しかし、まさかこんなすぐにお亡くなりになるとは、夢にもおもわなかった。こういう取材をうけているぐらいだから、回復にむかっているものとばかりおもっていたのだ。 悲壮感がまったく感じられなかった。そうおもわせたのは、彼女がほんとうの女優であった証なのであろう。


子どもの時分、おもえばお笑いマンガ道場のころから観ていたひとだ。毎週観ていたなあ。だん吉・なお美のおまけコーナーは決しておまけなんかじゃなかった。まさか富永一朗先生よりはやくお亡くなりになるなんて。