KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

きっと大阪では橋下さんの存在って聖域なのですよ




どこかで誰かが、上西小百合議員が当選したのは、入れた地元のニンゲンがわるいということを書いていたのだけれども、カノジョのばあい、小選挙区で落ちて比例で復活したわけです。なのである意味、落としにくいヒトでもあるというのはいえます。


だからカノジョが維新の党の政治塾にかよっていたということもふくめて、候補者にえらんだ党もわるいということがいえます。見る目がなかったってことなのですよ。いっしょにもんだいになった秘書も、カノジョ個人が人選したとはかんがえにくい。


もし党がこのもんだいになった秘書をカノジョに割り振ったとしたなら、そこも責任が問われてしかるべきではなかったか。 しかし、そこはまったく問われていないのです。ただ党からカノジョを追放しただけで、オッケーチャンチャン♪みたいなことになっています。


だから冒頭の大阪ローカルの番組で、個人をよびだして、上沼恵美子が責めたてるのをみて、ちょっとワタクシはこれってもはや弱い者イジメになってしまっているなとかんじるわけです。いくら国会議員といえども、テレビのちからの前でひとり戦うのは不利ですから。


出てくるほうがわるいというヒトもいるでしょうが、ワタクシは逃げまわるニンゲンより、出てくるニンゲンを評価します。だからこそ武士の情けみたいなものは必要なわけです。そして大阪人はこれみて単にカノジョだけを責めて、それだけでいいの?と問いますわ。 それとも大阪のみなさんのなかでは、橋下徹というひとは批判しちゃいけない聖域なのですか?と。


この番組には純次さんも出ていたのですね。大阪のローカル番組だから知りませんでしたが。あっちでは受け入れられているのだろうか心配です。この回ではほとんどしゃべっていませんね。さすがに高田純次のキャラ的に口を挟めないですかこれは。変なこといって話の腰を折ることもできないし。


いや高田純次だからこそ、なにもいわなかったのかもしれません。大阪人ではないというのもあるし、みんなといっしょになって糾弾するようなキャラでもないですし。ていうかヒトとしても、そういうことをやらないスタンスである気がします。


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それもまた武士の情けかな