前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

フジテレビと数字の”8”







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前回の記事とリンクする話題ですが、この写真は昭和34年開局当時の新聞広告です。現在はお台場にあるフジテレビですが、開局から1997年までは、新宿区の河田町というところにありました。


ワタクシごとですが、自衛隊に入隊した1991年、市ヶ谷駐屯地に配属されまして、当時は基地の敷地からフジテレビの建物が見えました。千葉の埋立地にある団地に住んでいたころは、子どもでありみえる世界もせまかったということもあって、東京ってなんだか遠いところにおもえたものです。


それが10代後半という歳になって、いままでブラウン管からしかみることのできなかったフジテレビを中心にした都会の光景とを目のあたりにして、胸をおどらせたのをいまもおぼえています。


そのころはすでにロゴマークはいわゆる”目玉マーク”になっていました。ビルの最上部にも目玉のマークがついて、夜はひかりをはなっていました。目玉マークになる前は、その部分が数字の”8”というマークでした。そう。このブログのタイトル部分にあるやつですね(笑)。


長年”8”という数字をロゴマークにしていたのですから、局としてのシンボルでもあったわけです。 やはりフジテレビとしては、”8”という数字をだいじにしたい。だからこそ地デジに移行するときも”8”という数字にこだわったのではないでしょうか。


もしホリエモンがフジテレビの買収に成功し経営に参加していたら、いったいどうなっていたのでしょうか。地デジに移行するときに、カレが言うようにチャンネルは”3”になっていたのかもしれません。そうなったらそうなったで、やはりしっくりこなかったでしょうねワタクシは。


地デジに移行してしまったものは、もうどうしようもないですし、これからも”8”という数字とともにフジテレビは歩んでいくのみですね。こうなったらもっと、フジテレビらしさというものをひらきなおって追求するしかありませんな。