KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

いったいだれがはじめに木の器にうるしを塗ろうと考えたのか

1407-0021-200_2


NHKの「美の壺」を観ていました。今回のテーマはお椀ということで、そのツボというものを草刈正雄の怪演とともに楽しんでいたのですが、あるひとつの疑問がわきました。しかしぜったいに答えは出てきません。


その疑問ですが、漆ってあるではないですか。 あれって直接肌にふれると、かぶれますよね。そんなものをいったいだれが最初に削った木の器に塗ろうと考えたのでしょうか。さいしょにさわったヒトってきっとえらいかぶれたと想像するのです。


しかし答えはわかりようがないのです。だってその技術は、すでに縄文時代後期からあったわけですから。縄文人すごいな。学校の歴史の授業で習いましたけど、土器のあの装飾とか実用性にはとぼしいかもしれませんが、縄文人特有の美学みたいなものをかんじます。


よくしかし漆を塗るって技が、いまの時代まで残っていましたよね。おかげで汁物を器に口につけて飲むという食文化も続いてきたわけで。 また器を手に持って、そのぬくもりをかんじるとき、日本人でよかったなあと実感するのであります。