KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

学生時代は体罰なんてふつうにありました

特に体の大きい声のデカいこのような私がしたことの謝罪と反省を踏まえて申し上げたと記憶している。部活動においても本当は体罰は絶対してはいけないのだが、私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省をしているとの意味で、発言したと記憶している。改めて、あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい。

馳文科相、教員時代に体罰「私が未熟だった」 


はじめに言っておきますが、体罰なんて無いに越したことはないです。しかし30年前は、今よりもふつうに体罰はありましたし、ワタクシもよく先生には殴られたものです。ただひとつ、言えることがあります。


別に殴られたからといって、先生のことは全然恨んでいないのですわ。それはなぜかというと、自分が悪いことをしたからというのもあるし、先生は自分のことを親身になって殴ったのだということを理解しているからです。


だから殴られてもいちいち親にチクるようなこともしなかったし、顔を腫らして帰ってきて、親にどうしたと聞かれたときも、これこれこういうことをして先生に殴られたというと、さらに親に頭をひっぱたかれました。親子にとってそれは大したことではなかったのですね。


すくなくとも30年前ってそういう時代だったのです。だからそれを引き合いに出して大臣を辞任しろというヒトをみると、そもそも時代背景が違うじゃんと感じるワケですね。ずいぶんお育ちがよろしい方なのかなと。