KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

別に社会貢献をビジネスにするのはいいですよ

私は、「ひとり親を救え!プロジェクト」というものに対して、複雑な心境になっている。
特に、このchange.orgでの「宛先: 菅義偉 官房長官 子どもを5,000円で育てられますか?貧困で苦しむひとり親の低すぎる給付を増額してください!」というキャンペーンについて、だ。
このキャンペーンの趣旨は、わかる。 一応、雇用問題を追っているので、「ひとり親家庭」の「貧困」についても、一通り関連した本を読んでいるし、分かっているつもりではある。 そして、自分が「裕福な母子家庭出身者」という稀有な存在であることも分かっている。 そもそも、自分を一般化することは愚かであり、卑怯だ。
大好きな、感謝の念しかない母からも、この件に関する説教メールがきたし、何より妻からは隣で糾弾された。しかも、「社会貢献している人を否定するな」と言われた。やれやれだ。
これぞ四面楚歌ではないか。私の周りで「ソ!」という叫び声が聞こえる。 いや、しかしである。 趣旨はよく分かるが、とはいえ、このキャンペーンは、やや配慮が足りなかったのではないか。
というのも、ここまで書いたように、弱者というものは、いくらその割には裕福であっても、虚勢をはろうとも、どこかこう、傷を抱えているものであり、なんというか、小さな一言で傷つくものである。

ひとり親家庭は応援するが、「ひとり親を救え!プロジェクト」を応援しないことにした 


でも当事者でもないニンゲンがビジネスにするならば、当事者に対して繊細にならないといけないし、うしろめたさも持つべきなのですわ。そして無造作にイッショクタにしないでいただきたい。勢いさえあればそれで何もかもまかりとおるのですか。


あ。みなさんこんにちは。マスクド・スーパースターです。あなたを照らすお星さまになりたいです。ピカピカ。 マスクド・スーパースターって必殺技あったっけ?というわけで、社会貢献について、いろいろ考える今日このごろなのであります。


なんか最近のこの手の”プロジェクト”を見るたんびに、ホワイトバンドプロジェクトを思い出します。まずは意思表示。”とにかくイシヒョウジが大事なんだ!”みたいな。まあホワイトバンドの売上を多少ポケットに入れるのはいいですけど、そういう社会貢献には疑問は付き物なのだということを自覚してもらいたいですね。


でですね。こういうことを記すと、お前はなにもやっていないではないかという返し言葉が出てくるのもわかるのです。ただ一言言わせてもらえば、じゃあいちいちワタクシ明智半平太がイツイツドコにこれだけの募金をしました。ボランティアしましたとイチイチ報告しないといけないのですか。


そしてそれをあなたにわかりやすく説明しないといけないのですかと。そんなのまっぴらごめんなのですわ。やっていたとしてもですよ。意思表示しているヤツと表明しないでなにかやっているヤツを比べようとするのはナンセンスです。